麻痺手はリハビリすれば動くようになります


16年前のことである。

 目が開くと病室のベッドにいた。

 会社で倒れてから何時間経ったのか分からない。

 左の腕を腹に載せて点滴しているらしいが、つり下げてある点滴袋は見えないし、左の腕が何処にあるのかも分からない。左の足も動かない。


 翌日、集中治療室から4人部屋に移されると、ベッドの頭側を上げて座る状態をとらされた。

 左手の位置が分からないので、常に目で確認するように指導を受けた。

 さらに、知らない間に左手が身体の下にならないように延ばした足の腿に載せるように教えられた。

 ベッドに足を伸ばして座れるようになると、動かない左手と右手を腿の上に並べて見つめながら手をにぎった。

 右手は動くのに左手は動かない。

 何度も挑戦したが、左手は動かない。

 でも諦めなかった。

 何度も挑戦した。毎日何度も挑戦し続けた。

 左手の甲側に当てた右手4本指と、左手の平側に当てた右手の親で左手の指を閉じたり開いたりもした。


 倒れてから二十日ほど経ったときに、左手指が僅かに自力で動いたように思った。

 家族もナースも療法士もドクターも驚いた。

 ベッドでの自主訓練を続けた。
特に両手指を組むことをした。

 急性期の病院には作業療法士はいなかったが、担当の女性理学療法士が手の訓練を指導してくれた。


 脳内出血から一ヶ月半で回復期リハビリテーション病院に転院して、本格的作業療法も始まった。

 指・手首・肘に少しずつ動きが出てきた。

 肩は、亜脱臼のために訓練があまりできなかった。

 左手の回復が進まないので、右手だけの片手動作を練習しようと提案されたが、左手が動くようにならないとリハビリの意味がないと片手動作の訓練は受けない事にした。

 訓練室でのリハビリとは別に病室での自主訓練も指導を受けた。


 暫くして「マサおじさんは、実生活で両手を使うのが一番良いリハビリだ」と言うことを療法士とナースに聞いた。

 発症から4ヶ月半で、手は補助的に使えるようになり、杖なしで歩けるように成って自主退院した。

 退院後は、家庭でも通勤電車でも会社でも敢えて両手を使う努力を続けた。

 思い切って挑戦する毎にできることが増えて行った。

 そして発症から一年後には、左手の動きはぎこちないけれども右手と一緒に使えるようになっていた。

 麻痺手は訓練しないと動くようにはならない。

 
 必死になると麻痺手が動くようになると、脊髄損傷のサルで実験した報告もある。

【脊髄損傷からの機能回復 -"脳の働き"をサルで解明-】より

 頸髄の一部(手の運動を制御する皮質脊髄路)に損傷を負ったサルは、受傷直後には損傷を受けた側の指先を自由に使えず、人差し指と親指で食物をつまむことができなくなります。

 このサルに、損傷直後から、指先でつまむリハビリテーション訓練を多数繰り返すと、1~3ヵ月後には、元通り指先を上手に使って食物をつまみとることができるようにまで回復することを、伊佐らはこれまで明らかにしてきました。


 本研究では、この機能回復過程の回復初期(1ヵ月)と回復安定期(3ヵ月)の脳の働きを調べるため、放射性酸素(O15)を組み込んだ放射性薬剤を投与して、神経活動の様子をPET(陽電子断層撮影装置)で観察しました。

 すると、回復初期(1ヵ月)には、本来使われている脳の部位だけでなく、普段は活動が抑えられて使われていない反対の脳(大脳皮質運動野)が活動していることが明らかとなりました。

 この新たな脳の活動部位からの指令が、脊髄の損傷をうけていない部分をバイパスして指にまでいくように機能が補われていることが推測できました。


 その後、回復安定期(3ヵ月)になると、本来の脳の部位の活動が更に高まり、指先を器用に動かすことができるまでに回復するとともに、活性化される脳の部位が広くなりました。

 この脳の可塑性により、より多くの運動野の細胞が指の運動にかかわるようになり、また、大脳皮質の運動野以外の部位(運動前野)からの指令も、指先に向かうようになるものと考えられます。

 今回、脊髄損傷後のリハビリテーションにより脳の機能が補われながら指の運動が回復することを、世界ではじめて明らかにしました。

 今後、脊髄損傷や脳梗塞などの患者のリハビリテーションへの応用が期待されます。

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