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2008/12/05 16:14に、いわゆる『障害受容』について、と言う記事を書きました。 http://12346529.at.webry.info/200812/article_10.html この記事では主に、キューブラー・ロスの段階説をそのまま障害に適用した理論についての疑問から出た内容でした。少し視点変えて考えてみました。 脳血管障害で片側に痲痺が起きると、麻痺を回復させるために、麻痺した上肢、下肢を他人の介助を受けながらでも繰り返し動かす努力が必要です。患者さんの麻痺した手足を患者さんが意図した運動、つまり患者さんが思った通りの運動が実現するように治療者がうまく操作するのが新しいリハビリの考えです。 患者は「機能改善」を強く望むのに、破壊された神経細胞は再生しないから、片麻痺は治療しても回復はしない。そのため、片麻痺の患者さんのリハビリテーションは「麻痺のない下肢や上肢を鍛えて、歩行や日常生活が出来るようにすること」を目標とし、「回復は無理である」と「断念」を迫る治療者もいると聞きます。「断念」を患者さんが納得すれば「障害受容」が出来たと思い。納得しなければ「障害受容」が出来ない患者であるとの烙印を押す。 「リハビリの世界において、障害をもつ患者の心を安易に考え、『障害受容』という言葉が決裁の印鑑のように使われていないか、期待通りの治療ができていないという謙虚さを忘れ、パターナリズムに陥ってはいないか」という問題意識を持つことが必要である。」とは、NHKスペシャル「闘うリハビリ あなたはここまで再生できる・脳がもつ可能性」で有名になったCI療法の日本における第一人者である兵庫医科大学リハビリテーション医学教室の道免教授の言葉です。 私は入院リハビリを受けているときも、「麻痺のない下肢や上肢を鍛えて、歩行や日常生活が出来るようにする」訓練は拒否し、あくまで「痲痺側の訓練に固執」しました。退院しても、痲痺側を諦めるような「障害の受容」を考えず、「訓練を続ければ必ず動くようになる」との信念を持って両手を使い続けています。 退院当初は、イライラの連続でした。それは、麻痺のない手のみで日常生活動作をする方が、はるかに楽だからです。しかし、そうすると麻痺手を動かさない事になります。 例えば、麻痺のない手の助けで麻痺手を広げて卓上の缶ビールルを握らせ、卓上で缶を麻痺手で握ったまま麻痺のない手でプルトップを引く事が出来れば最高です。卓上の缶ビールを、麻痺のない手のみでルトップを引く事は可能ですが、敢えて練習するのです。 幾らでも練習できる動作はあります。洗顔も片手だけでも可能ですが、両手を使う訓練を。 「麻痺改善」を諦めても、有意義な生活を送っておられる方は沢山おられます。 どちらを選択するのかはその人の自由です。 訓練しても改善の進まない人もおられるでしょう。 でも訓練しないと改善はあり得ないのです。 難しい問題と言えますね。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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今の自分を決して否定しない。でもより良い自分であろうとする。昨日の自分を卒業した明日の自分であろうとする…。 |
speranza 2009/01/07 23:14 |
いろいろな生き方があっていろいろな選択があるのでしょう。 |
speranza 2009/01/07 23:15 |
speranzaさん |
マサおじさん 2009/01/08 08:36 |
speranzaさん |
マサおじさん 2009/01/08 08:52 |
マサおじさん |
speranza 2009/01/08 22:05 |
peranzaさん |
マサおじさん 2009/01/08 22:41 |
マサおじさん、私も生まれつきの脳の可塑性に関して個体差があるとは考えにくいのです。 |
speranza 2009/01/09 20:23 |
人間の身体の不思議と謎は尽きることがありません。 |
speranza 2009/01/09 20:24 |
speranzaさん |
マサおじさん 2009/01/09 21:28 |
>人間の身体の不思議と謎は尽きることがありません。 |
マサおじさん 2009/01/09 21:31 |
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